慈眼寺

野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。幾多の戦乱のため荒れはて、1565年(永禄8年)三好・松永の兵によって全焼し、本尊の観音様だけが残りました。長い間、小さいお堂のままでおまつりしてありましたが、元和2年(1616年)青厳和尚がこのお寺を復興され、元禄宝永ごろにのざきまいりが盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。

釈迦涅槃図絵


当山宝物、狩野探信筆「釈迦涅槃図絵」。
毎年二月開帳。

本堂

昭和二十五年、十九世尾瀧一峰和尚が河内一円を托鉢し善男善女の浄財により、日下大龍寺観音堂を譲り受け、解体移築したもので、棟木に元禄八年の銘があります。

鐘楼


梵鐘は、宝永五年鋳造のもので「枚方住田中河内大目藤原家成」の銘があり、「野崎の鐘のつきっ放し」と言われ、いつでもついてかまわないのですが、連打は火事の知らせなので厳禁です。

江口の君堂


本堂の隣にあり当山中興の祖、江口の君をおまつりしています。女性をお守りくださる仏様と言われ、縁結び・安産・子授け・婦人病などに悩むあらゆる女性をお守りくださいます。君像は美しく彩色された官女風のお姿で、気高く、りんとして座しておられます。

三十三所観音堂


西国礼所一番那智山から、三十三番谷汲山までの観音様をおまつりしています。このお堂にお参りになれば、三十三霊場を一度に拝むことができます。

らかん堂・十六羅漢像


羅漢とは釈迦の十六人の高弟のことであり、野崎観音の十六羅漢は、江戸時代から「のざきかんのん十六羅漢、うちの親父は働かん」と子どもの遊び唄にまで親しまれ、観音様と共に信仰を集めてきました。昭和二十六年に山崩れに遭い、羅漢堂は流失し、尊像も著しく損傷を受けましたが平成十八年、修復が完成し、仮羅漢堂に一時安置しております。また、釈迦如来像は薬師堂に仮安置しております。

薬師堂

薬師如来は、心身の病気を治してくださる仏様で、病気平癒・身体健全・延命長寿の功徳があると言われています。

お染久松の塚

野崎観音は、お染久松を主題にした近松半二「新版歌祭文」をはじめ、近松門左衛門「女殺油地獄」、落語「のざき詣り」、東海林太郎「野崎小唄」などで広く知られております。 お染久松の物語は、野崎会館内に絵物語がございます。

花蝶菩薩

本堂壁画「花蝶菩薩」は、十九世尾瀧一峰和尚終生の念願であり、和尚自ら「花蝶菩薩」と命名し、朋友中村常夫画伯が、構想以来三十年の歳月と情熱を傾けて制作された力作で、天空をシュールに表した十二星座の壁画。
花蝶菩薩の詳細ページへ

御本尊十一面観世音菩薩像

本堂内正面の本尊十一面観音菩薩は、白檀の一木彫りで、渦巻く波間に躍動する龍の背に立ち、喜怒哀楽の人生は本面の慈悲相を根本に生きなければならないと教えておられます。脇侍仏として、右に慈悲と子授けの仏様である普堅菩薩、左に知恵と学業の仏様である文珠菩薩をおまつりしています。両脇に持国天、多聞天、広目天、増長天の四天王がご本尊をお譲りしております。

南條神社

祭神・牛頭天王・スサノオノミコト。例大祭:10月20日・21日 。月並祭:毎月1日と15日当神社は、宝塔神社に対して北の宮さん牛頭さんの呼称で親しまれ、野崎地区の氏神として厚く信仰されています。

石造九重層塔


当石塔は昭和初期まで九層でしたが、現在は最上層と相輪を失って、高さ280センチの八重層塔となっています。 造立銘は永仁2年(1294年)とあり、74字の金石文を礎石に刻する北河内最古の層塔です。大東市指定文化財。

おみやげ・楽庵


楽しい手作りの小物や、野崎観音のおみやげがいっぱい。

お茶席・無庵


ほっとひと息、おいしいお抹茶(お菓子付)、コーヒーをどうぞ。 お茶会・法事などにもお使いください。無庵(15〜20名収容)・会館(30名収容)。くわしくは、楽庵にておたずねください。

芭蕉碑

慈母観音